にゅうさかどの     かまはちまん
丹生酒殿神社と鎌八幡宮と空海
さん
このお話は弘法大師空海さんが高野山を開いた頃の時代です。

JR和歌山線の妙寺駅から南へ500mのところに紀の川があります。川を渡ると

三谷、兄井という在所があります。ここが舞台です。

三谷には丹生酒殿神社があります。境内には銀杏の大木があります。

天照大神の妹神の丹生都姫がご祭神。榊を両手で持ち胸にあて、

ゆっくりと天から神社の裏山に降臨されました。

近くに三谷小学校があります。明治時代には臨降小学校と呼ばれていました。

さて、丹生酒殿神社の裏手には鎌八幡宮というお宮があります。

大木に無数の鎌が打ち込まれています。願いのかなうカマはすいこまれ、

かなわないカマは落とされてしまいます。






いよいよ物語に入りましょう。


ある日のこと紀ノ川の上空を飛んでくる幡がありました。紀の川べりの

松の木に引っかかりました。ハタと止まりました。それはそれは立派な旗でした。

その後、今度は大きな白い竜が大きな口から火を噴きながら紀ノ川を上ってきました。

あまりの恐ろしさに村人たちはちりじりに逃げてしまいましたが、

大畑の鬼五郎次郎という村人がしっかりと見届けていました。

火を吹く竜はだんだんと小さくなって、やがて熊手に変身してしまいました。

兄井村の神主がこの熊手を引き取り神社の木に立てかけておきました。

ある日のこと、農作業をしていた村人がカマを木に打ち付けて休憩をしていました。

再び作業にかかろうとしてカマを抜こうとするのですが、

どうしても引き抜くことができませんでした。

 




この話を聞きつけた高野山の僧侶はきっと霊験のあるものだと幡と熊手を高野山に

持って行きました。

この幡と熊手は神功皇后が三韓征伐の時のお守りとして持って行った物で

讃岐の屏風ヶ浦の神社に祭られていた物であることがわかりました。

讃岐生まれの弘法大師空海さんを慕ってやってきたものでした。

幡と熊手を高野山j行人方のお守りとして、幡と熊手を担いで山内の寺を巡る、

巡寺八幡と言う儀式を明治まで行ってきました。

明治の初め神仏分離令からいろんな変遷を経、巡り巡って幡と熊手は

丹生酒殿神社に戻されました。幡は行方不明ですが、熊手は鎌八幡宮のご神体として

神社に祀られています。巡寺八幡の様子が描かれているへ扁額が拝殿にかかっています。

幡の引っかかった松を幡掛け松といって、松のあったところには石碑が建てられています。

鎌を打ち付けて願いをける鎌八幡宮の大木はイチイガシで

赤さびたカマや真新しいカマが突き刺さっています。


          丹生酒殿神社
            鎌八幡宮

      かつらぎ町兄井に石碑


   


            2011.10.15

             2011.11.30


            2011.11.30    ライトアップされた銀杏の木




12月10日ころまで黄金色の銀杏が見られるでしょう。散ってしまうまでライトアップされるそうです。

散ってしまってもまたすばらしい光景が見られるのです。それは、境内一面に敷きつめられた葉っぱの中で近所の幼児が遊ぶのです。

こちらのほうがシャッターチャンスかも。

参考

・讃岐屏風浦に熊手八幡宮がある

・弘法大師空海さんが高野山を開く---816年

・神功皇后----仲哀天皇の皇后。気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)。

 応神天皇(15代)を妊娠したまま海を渡って朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻めた。

・新羅は戦わずして降服して朝貢を誓い、高句麗・百済も朝貢を約したという(三韓征伐)。

・仲哀天皇----日本武尊の子

・仁徳天皇----16代


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