紀州漆器の黒江ぬりもの館を渋墨塗り 
 独特の紀州連子に漆器職人のたたずまいを残す、落ち着いた風情の店構え。

原材料や製品を運んだだろう大八車が印象的だ。

 武家は冬を専らとす。新正を飾る故なり(正月前に渋墨を塗る・・・「守貞稿」より)・・・これにちなんで22年12月26日に渋墨塗りを実施しました。

   黒江ぬりもの館のHP

黒江の歴史的町並みの特徴

・のこぎりの歯のように雁行した家並みと京風で独特の紀州連子格子。
・農家的な間取りの類型の家屋などをおもな特徴としながら、古風で素朴な落ち着いた風情を醸しだした独特の景観をなしています。

          古い町並み      観光客の方々も      向かいの池原邸も渋墨塗り
黒江の漆器は渋地碗といい、柿の渋と煤を合わせたものを
下地に塗っていたそうな・・・。まさに渋墨でしょう。

 黒江塗は室町時代から始められ、そのルーツは根来塗と近江の地を発祥とする「生地師」たちが始めたとする二つの説があります。

 ともあれ「毛吹草」という諸国の名産を紹介している本に、紀伊の国の黒江塗りが登場している。黒江塗りが有名になったのは、それまで高価であった漆器を大衆向けの安価な製品にしたことです。

 本来、漆器は下地に砥の粉と漆を混ぜたものをを塗るのに、黒江の漆器は渋地碗といい、柿の渋とススを合わせたものを下地に塗りました。

また漆器の作る作業も、木の器を作る木地師、また吸い込みを防ぐための下地師、漆を塗る塗師、沈金や蒔絵を施す加飾師などに分業し、より良い製品を安価に量産したからでした。漆器界の技術革新だったのです。

このためお椀やお盆、お膳などの大衆向けの漆器の生産地として黒江は大いに賑わい「立錐の余地もない」ほど漆器業者が軒を連ねていました。

  
        23年の干支・・・・ウサギの一閑張り・・・
                     

黒江で漆器生産が始められるようになったのは、いくつかの地理的要因がありました。

 海南市の隣町である野上町で漆が採れたのと、「紀州木の国」と言われるようにヒノキや楠などの豊富な木材があったからです。

このため「「板物」と呼ばれる盆などの生産を得意としていました。さらに和歌山県は気候が温暖で、とくに黒江は沿岸沿いなので空気が澄んでおり、漆の嫌うゴミやはこりを受けることのない環境にあったからです。紀州の風土が生み出したと言っても過言でないでしょう。

漆器の四大生産地
・福島県会津若松市  会津漆
・石川県山中町     山中漆
・福井県鯖江市     越前漆
和歌山県海南市   紀州漆

和歌山日本1物語(発行:和歌山放送)から
                  


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